見た

自分が大好きなものを極め愛することはすてきなことだと思います。でも、たまにその好きなものを理解しない人を見るとやたら引き込もうとする人がいますよね。納豆大好きな人が納豆食べられない人に向かって「こんなにおいしいものを食べないなんて人生損してる」とかそういう。でも納豆食べられない・嫌い・食べるくらいなら死んでもいい・食わねって言ってるだろうが!とまで思ってる人を無理に引き込むのはよくないと思います。空気が悪くなります。注意したいものです。あなたはあなたであって、わたしでない。わたしはわたしであって、あなたでない。だからわたしは他人様の嗜好をなるべくとやかく言いたくないです。肉親や配偶者の嗜好にもなるべく口を出したくない。わたしはわからないけど、あなたがそれを好きならばいいんじゃないでしょうか。これは「わかりあえないということをわかりあうのさ」というボーダーシャツにベレー帽が似合う爽やかなそれでなく、「いんでねえの?あんたの好きにすれば」というワンカップイカの薫製のにおいのする枯れた気持ちであります。思えばわたしは10代のころからこんな感じでした。自分がそうだから周りにもそうしてほしい。しかし友達にいました。引き込み型の押しつけ型の子が。アニメの同人誌を描いている子でした。同人誌制作費捻出のため夜のアルバイトをし、夜との陸続きで浮気とか不倫とか一通りあり、当時付き合ってた彼とも別れてしまい、次第に同人誌云々は限りなくうやむやな感じになり、お客さんと付き合ったり騙されたりを繰り返し、ものすごーく残念な感じに姿を消してしまった友達です。まだ夜バイトも日が浅かった頃よく遊びに来てくれてて、そのたび同人誌を作るきっかけになっているアニメの話をしてくれました。なぜかこの子の口から出るアニメの話はおもしろく、それならばとそのアニメをわたしも見てみたりしたのですがてんでおもしろくなかったです。わたしはあの子を好きだったから、あの子のアニメ話を楽しく聞いたつうことなんでしょう。アニメはわからなかったけど、わたしはあの子が好きだったなあと。ものっそい枕が長くなりましたけど、酒井若菜演じる恋乃ちゃんを見てなつかしい友達を思いだしたという、そういう話です。同人誌云々については口出ししないにせよ、夜バイトにのめる前に何か道徳的なことをわたしも言えばよかったんじゃないかと(親御さんとか彼氏とかに散々言われてるだろうからとわたしは何も言わなかった)今にして思うのでした。自分が枯れてるからその友達にも枯れを求めた部分があり、自分が正しいと思うことを友達も当然正しいと思うだろうという思い上がりがありました。元気にしてるといいけれど。こうして身の上話を長々書くほど、なかなか飲み込みにくい映画でした。原作読んでますし。でもひとつだけ、あの「めくっても馬鹿」っての、あれすごいよかった。じーんと来たです。来るところじゃないかもしれんけど。

            • -

>肉親や配偶者の嗜好にもなるべく口を出したくない
うそでした。実母が片岡鶴太郎の絵を購入すると言いだしたときは全身の力を振り絞って反対しました。あの時のわたしは輝いていた。