これが練習大好き健太くん人形だ(高山

■小橋武道館、やっとこちらで放送されました。おすぎです、目の前に、ワイパーがほしい。病気をし健康のありがたみを知り自分もいつか死ぬんだなあということを実感したことがあったり、身近な大事な人の病気に接したりという人はきっと小橋の試合を涙なしでは見られないと思いました。実況の、「小橋が生き返った」というフレーズ、小橋にとってはプロレスができないことは死んでいることとほとんど同じかも、ということを考えたら間違った表現ではないですよねえ。むかし、小橋が膝の大けがで入院欠場していたとき、例の場所で小橋の入院物語みたいなのを書き寄せるスレッドがあり、おとなしく寝ていないと看護士さんに叱られるという設定で、バーベルのかわりに志賀を持ち上げていて、看護士さんの足音が聞こえてきたから窓から志賀を捨てた、というネタが載っていて、いや捨てたらいかんのだけど、それがあながちない話でないと思わせる練習大好きケンタくんぶりをプヲタは皆知っていて、当時は「負傷して」てより「練習できなくて、試合できなくて」気の毒、と思ったものでした。そんな小橋が大きな病気だと発表されたとき、そりゃあもうショックを受けたものです。なんであんな丈夫な小橋がそういう病気になるだ、とか、病気を誘発するなにかひどい無理をしてたのか?とかとかとか。が、でもどこかで「あの小橋なら…」と希望を持たずにはいられませんでした。「だって小橋すげえ強えよ」と。そう思わないとやってられないというつらい話でしたし。そして、病気に克ってリングに立って試合をしている小橋を見て、腹の底からすごいと思うと同時に、なんかいろいろ申し訳ないとも思ってしまいました。「プロレスラーは強いんです幻想」を医学に持ち込んで「小橋ならなんとかしてくれる」という希望を押し付けたりしてた気がして。無茶言うな、て話なんです。そんでも小橋は戻って来た。人間として生き物として本当の本当にものすごいです。大変な病気でふつうの生活に戻るだけでもすごいことですのに。もっとも、プロレスをするということが小橋にとって「ふつうの生活」なのだから、小橋にとっては「ふつうの生活に戻った」てことなんでしょうけども。今まで「プロレスラーは強いんです」てことをいろんなところで感じたり(感じなかったり)したけど、ここまで「強えええ!」と思ったことはありません。有明の方角に向かって土下座です。